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20150227

今日はひさしぶりに荒れ模様。
また雪が真横に降っている。

私は千葉の松戸で生まれ育った。
住宅と工場の町。
山はなく、遠くを見渡せば一面灰色の平野が広がっている。

子供の頃から宙に浮いたような子だった。
生きている実感に乏しく、身の回りの出来事を自然に受け入れる
ことが出来なかった。
今にして思えば、自分と他者との間には大きな距離があり、
自意識の偏りがそんな実感を与えていたと思う。

自分の住む町、ほとんど付き合いのない近所の住人、
友達、学校、勉強、テレビのニュース、
みんな何のためにそこに居て、それをやるのか、
自分との関係性はなんなのか、
そんな考える必要の無いことを考えるのが先で
感じることが後回しになる。
子供の頃はこんなことを言葉にできるはずもなく
孤独と不安の中でそれなりに育ってしまった。

そんな私でも、全くのポンコツじゃないところは
肌で感じることが好きだと気が付いたところだ。
外に出て、煌めく日差しの中で汗をかいて遊ぶ。
考える間もなく動き出してしまう体にまかせて
自由に、とめどなく、筋肉が疲れきって動かなくなるまで。
そして地面に転がっては、焼けるような砂の熱さを感じ、
目の前に広がる真っ青な空に、思ったより早いスピードで
流れていく雲を見つめながら、きれいだと感じることができた。

この二つの相反する性格が今の私をつくっている。
自分の内にこもるものと、自然との調和。
なんだかんだ言って、そのことに気が付いたのは早く、
中学生のころには生き方を決めてしまった。

それが良かったか悪かったかは、今でもわからない。
わかることは、自分の望んだ人生を送っているということだ。



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関西へ ~大阪編~

20150223

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生まれ変わったら、ここの常連になりたい


大阪の人は親切。そしてここは「コミュニケーション天国」。
道を聞けばその人の持ってる情報全てを搾り出してくれる。
(しまいには一緒に来てくれる)
しゃべりたい、話さなきゃ損。
寡黙な性格が多い東北とは、ま逆の国。
知っているようで知らない。もっと日本を知りたい。

難波でみやげ物を探している時だった。
繁華街は退屈で、もう帰ろうかと思っていたら、
目の前にトラヤという手芸品店があった。
古くからここにある老舗の大型店で、
欲しい生地を店員に伝えると、店員がメモを書き、
それをガチャコンのカプセルみたいのに入れ、
上階から「ふぉ~~!!」と吸引されている管に入れると
スポッと吸い込まれる、めちゃくちゃアナログなシステムが。
暫くすると、「ドサッ」と裁断された生地が上から
落っこちてくる 驚!!  上、どうなってんの??

店に入ってすぐに、ムラ染めのような8号ハンプを見つけた。
ずっとムラ染めのハンプを探していたけれど
ネットでも日暮里でも見つけられなかった。
(あっても高い。。。)
忙しく働く店員さんをつかまえて聞いた。

「このハンプはムラ染めですか?ずいぶん安いですね」

「ムラ染めっちゅうか・・・。ぶっちゃけ、中国産ですねん。
国産では、こんなんありえまへんわ。
まあ、それがいいっちゅうんなら、あれですわ、ヘタウマ的な・・・」

え?そんな事言っちゃう。
正直!


地下鉄の駅員さんも・・・

フリー切符の買い方がわからなくて聞いたとき、

「お金入れてここ押したらここの○○○○とかなんとかって
わけのわからんネーミングのボタンを押さなあかんのですわー。
ほんまわかりづらくて、すんません」

ええ?そんなことも言っちゃう?

なんていうか、気取ることなく、人に嫌な思いをさせずに
会話が続くように話してくれる、それが私の
「大阪の人」の印象だった。



義母は双子で、大阪に姉がいる。
一卵性双生児のため、うりふたつだ。
通称「大阪の伯母ちゃん」
主人も自分の母親にそっくりだからか、
ものすごく慕っている。

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東成区で作業着屋を始めて40年。
大阪の伯母ちゃんは旦那さんを亡くしてからは
息子「Kさん」と2人で暮らしている。
うちの主人の従兄弟で、話はずっと前から聞いていた。

「ええ年したおっさんの事言うのもなんやけど、天使やねん。
動物と子供は、なぜかKにはりついて離れやんのよ」

Kさんは、生まれながらに耳が不自由だったが
昔から成績優秀で、現在は歯科技工士として勤めている。
この人に出来ないことがあるのかというくらい、
器用で努力家で聡明で、心優しい人だった。
私はこの時初めてお会いしたのだけれど、
すぐにはりついて離れたくないような衝動に襲われた。
どーぶつか、こども?

そんなKさんの部屋は、コックピットみたいになっている。
パソコンは4~5台、モニターも。みんな自作だ。
食事をして風呂に入るとすぐコックピットに入る。
伯母ちゃんは夜遅くまで大好きなテレビを見て
朝は遅く起きてモーニングに行ってから店を開ける。
Kさんは一人でコーヒーをたてて、伯母ちゃんが起きる前に
毎朝家を出る。

ショックだった。
こんなに自由でありながら、自然で幸せな
家庭を築けるのだということが。
一日中笑いの絶えない家。
お互いの事は充分気遣い合いながら。
おかげさまで楽しく幸せな時間を過ごさせてもらった。
伯母ちゃんは、基本「こうあるべき」とかいう
理想を人に押し付けたりはしない。
もちろん自分自身にも正直だ。
素直であることが一番。ありのまま万歳。

「ひとそれぞれ」「好きにしたらええ」



大阪最後の夜、伯母ちゃんの作ってくれた
すき焼きをご馳走になり、夜行バスで東京に行った。
それから幼馴染のゆうちゃんに会い、報告した。
この旅のことは、以前からゆうちゃんに告げていたので、
心から、良かったねと喜んでくれ、嬉しかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



この後、夜行バスで岩手まで帰ったのだが、
その5日後に、入院して会うことができなかった奈良の
伯父が亡くなり、ふたたび奈良・大阪の訪問となったのだった。

近鉄バスと大阪の伯母ちゃん、
また親戚の方々には連日大変お世話になりました。

すっかり好きになった関西圏へ、またいつか・・・。




関西へ ~和歌山編~

20150221

主人の父方の本家へお墓参りを果たした次の日、
今度は母方の故郷、和歌山へ向かった。

新深江から地下鉄を乗り継いで天王寺へ出てから
特急くろしおに乗り、いざ和歌山は海南へ。

岩手を出てから1日半で、ものすごい距離を移動したためか
さすがに眠気が襲ってきた。
ななめ前の座席には、ドカジャンを着たどこかの職人さんが
座席を向かい合わせて酒盛りをしている。
日に焼けたんだか酔っ払ってなのか、顔を赤くして
仕事の話で盛り上がっていた。
紀州の山並みが写る窓際にスーパードライを山積みにして。

海南には現在義母の弟夫婦が住んでいた。
おばあさんが亡くなってから2人だけで住んでいる。

11年前、おばあさんがいよいよ危ないというとき、
私たちは3月に結婚式を控えていた。
何度も和歌山へ往復していた義母に主人が聞いた。

「もし結婚式の直前におばあさんあかなんだらどないするんよ」

「そうなったら、うちは結婚式にでんで。
 そりゃ大事な母親でも、もう亡くなった人の事よりも
 これからの事のほうが大事やと思う」

結局、式の直前までもたずにおばあさんは亡くなった。
その時、私は勤めていた会社の社長が亡くなったあとで、
偲ぶ会などがあり結局お葬式には行かなかった。
実はそれがこの旅までずっと心残りだった。
単身岩手に来てから2人きりで仕事をしていたその社長が、
本当に可愛がってくれ、心から慕っていたのもあったが、
義母の気持ちを思うと、おばあさんのお葬式に行かなかった
自分の選択がはがゆかった。

そういうこともあり、今回の旅はとても大切なものだったのだ。


海南の駅には、叔父と叔母が車で迎えにきてくれた。
車で走ると地理が全くわからなくなり、どこだかいまだにわからないが、
港の見えるホテルで食事を用意してくれていた。
その後、墓参りに連れて行ってくれた。

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急な勾配を登り、寺に着いてから車を降り、
更に急な階段を延々と登った。
叔父は、もう墓じまいを考えているという。
息子夫婦も離れて暮らしているし、自分たちが年をとれば
墓の管理も大変だと言う。
奈良の本家も、同じ事を言っていた。重荷にしたくない、と。

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墓じまいの話を聞いて、本当に来て良かったと思った。
ご先祖様の眠るお墓の前に座り、手を合わせたときに
やっと11年間の心の曇りが晴れた気がした。
連れて来てくれた叔父にも心から感謝している。


(大阪編へつづく)




関西へ ~奈良編~

20150219

年末に、関西を訪れたことを書きたい。


近鉄バスの格安券で、仙台から大阪まで1万円で行った。
19時に仙台を出て、朝7時半に大阪あべのばしに着いた。

安い券なので混んでるだろうと思いきや、
乗員は5人程度だった。
(高速バス業界はこりゃほんとにそうとう厳しい)
おまけに近鉄バス乗務員さんの関西弁が楽しくて
サービス満点で得した気分だった。

あべのから近鉄線の急行吉野行きに乗る。
大阪の喧騒を離れ、古市を過ぎたあたりから、
急に色彩が変わりのどかな風景へと一変する。

DSC_0230_400.jpg

この頃は11月の末で、岩手ではもうすっかり紅葉も終わり
一雨ごとにぐっと冷え込みが増していた。
寒さに体が慣れていたので、緑豊かな橿原神宮あたりの
木漏れ日が、窓越しでも眩しく、暑いくらいだった。

「懐かしいな。・・・やっぱりだいぶ変わったな」

主人の父、母は主人が2歳半の時、岩手に定住することになった。

奈良に本家がある伯父、父は家業のため2人で長屋を借りて
岩手で生活していた。
そこに、男の子を連れた母が一緒に住むことになったのである。
しばらくは新婚生活のために用意した新居が奈良にあったのだが
夏休みなどのまとまった休みに家族で帰るかっこうだったらしい。
こうなると、どちらが別荘なんだかわからない。

主人が小学生の時、かまきりの卵を家に持ち込んだら
次の年の夏休みにかまきりだらけになっていて
「めっちゃおこられた」らしい。 (;O;)



本家には、3年前に仕事を引退した伯父と伯母が住んでいた。
私は今まで一度も主人の親戚方には訪れたことがない。
行こう行こうと思いながら、10年の月日が流れてしまった。
今回の旅は、伯父のお見舞いとお墓参りが目的だった。

ところがこの何日か前に伯父の入院が決まり、会うことができなかったが
とりあえず本家にお邪魔して、仏壇に手を合わせ、静かな時間を過ごした。
伯母さんは、私たちにとても良くしてくれ、裏山にある先祖代々の墓に案内してくれた。

「こんなん、お父さんみんなしてんで。食べるか?」

伯母は、いくつかなっているうちの、色づいたレモンをもいで、くれた。
墓のそばには小さな畑があり、水菜や白菜などが上手に育てられていた。

近鉄線から、綺麗な紫青色の花を咲かせている木のようなものを見て
あれは一体なんだろう?と思っていたが、皇帝ダリアだと教えられた。

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茎は空洞になっていて、風ですぐ倒れるらしい。
花が終われば地際から切る。一年でこれだけ(3~4m)伸びる。



この日はこれで失礼し、天王寺に寄って串揚げを食べた後
大阪の新深江に住む義母の双子の姉(通称:大阪のおばちゃん)の
家に泊めてもらった。
次の日は、和歌山にある義母の故郷へ墓参りに行く予定があったからだ。

(和歌山編に続く)





まだら畑

20150217

昨年11月に思わぬドカ雪が降り、庭の植物の刈り込みも
綿花のマルチをはがすのも間に合わなかった。

いつもは雪が降る前に、全て物を片付けて、
畑もすっかり綺麗にして、安心して「さあどうぞ」と
冬を迎えるはずが、今年は年末に関西方面へ行ったり来たりで
忙しく、出来なかった。


IMG_1115_320.jpg
うちの畑。掘り起こしたところとよく歩くところだけ解けている
今シーズンは雪が少ない
こんなに少ないのは岩手に来て初めてじゃなうだろうか



年末に訪れた奈良の橿原はとても良いところだった。
親戚の不幸で訪れたこともあり、寂しい印象が強いが
忘れられない旅となった。
奈良県桜井市に住む川口由一さんの本が
臨場感を持って読めるのもいい。
現在は纏向遺跡の発掘地として土地を一部提供されたそうだが
いつか行ってみたい。

美醜の別を明らかにし、
醜からはなれ美に生きる
  〔自然農という生き方 ~いのちの道を、たんたんと〕より




強風

20150213

朝からものすごい風だった。
半分夢のなかで、こんな風で家は大丈夫なのかと
窓ガラスが割れるんじゃないかと心配になり
不安が支配する悪夢へと変わっていく。

カーテンを開けて外を見た。
雪が真横に降っている。
昨晩から1mmの雪が降り続く予報だったから
天気が良かったら朝早く橋まで行って
写真を撮ろうと思っていたけどあきらめた。
今日が休みで助かった。
主人も無事に仕事から戻ってきてくれて、安心した。

こういうときこそ

20150212

高浜原発3,4号機の再稼動に向け基準を満たしているという
審査書が決定したという。

川内原発に引き続き2箇所目。
異常な速さで次々と審査が通っていく。

震災以来、食事がすっかり変わった。
危険だと思われる地域のもの、
危険だと思われる栽培、飼育のものは
極力食べないようにしてきた。
スーパーでの買い物にはとにかく時間を費やした。
元々好き嫌いはなく、色んなものを食べることが好きだったが
今は買える物が限られている。
初めは苦痛がに感じたが、最近は慣れてきて
別に食べなくてもよいと感じるようになってきた。
人間の慣れって、すごい。

だが多くの人は反対の方向に慣れていっている。
初めは同じように警戒していた人も、
世の中が騒がなくなると、忘れてしまう。
あんなことがあったのに、すっかり元の生活に戻り、
そして、慣れてしまう。
楽なほうに流れる。もしくはポジティブ思考の末に、流れる。

放射能汚染について政府は何の解決策も打ち出さないまま
国民が忘れ去るのをただ待っていただけのように思う。
はじめ私は、「とりあえず今は食べるものに気をつけるしかない。
2.3年経てば、状況も変わるかもしれない」そう思うようにしていたが
やはりそんなことは起こらなかった。

そして今、再稼動を目の前にして、
「食べない」ことを続けていく。
慣れてはだめだ。
生産者さんの想いも全部ひっくるめて考え続ける。
今、私が食べないものが、なぜ食べられないのか。
すぐ近くに、「立ち入り禁止区域」ができ
おそらく死ぬまで私たちが立ち入ることができない場所が
存在するのだと知ったときの、あの底知れぬ絶望感。
そこが故郷だった人の、その何倍の苦しみ。

原発から手を切るには、この悲惨な震災の傷跡が癒えぬうち、
全原発が止まっている今しかないのでは。
まだ忘れるには早すぎる。まだ昨日のことだ。



水沢へ

20150211

用事があり水沢のマルヨウさんへ行ってきた。

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お父様の代から続く園芸店を改装し
素敵なカフェに変身。
店内はマルヨウさんの製品はもちろん
他の作家さんの作品が並んでいる。

奥の間は作陶場となり、今日も陶芸教室で賑っていた。
春になれば園芸店でも可愛い花苗たちが並び
ここに来る楽しみも増えるだろう。

世の中にお洒落なカフェは多い。
DIYブームもあり店主が手作りする楽しみもある。
まさにカフェ戦国時代真っ只中。

こんなにカフェがあって大丈夫か?やっていけるのか?と不思議に思う。
なぜなら東北の人は「お茶する」という感覚があまりないように思う。
喫茶店に通う、という習慣がない。

比べて大阪の人は「お茶する」が大好きだという。
大阪の親戚のおばちゃんは毎朝隣の喫茶店でモーニング。
何十年も、おんなじ350円のモーニング。
「うち、岩手に住んでたら絶対モーニングなんか行かれへん!
何言われるかわからん。」

「隠れ家的カフェ」というのも人気だ。
カフェに限らず雑貨屋も。
すごいのが梅田の中崎町。ここは空襲を逃れた古い町屋に
沢山の可愛いお店が隠れている。
まるで迷路、小人の町かと思うくらい家がみんな小さく路地も狭い。

半日探し回ったが、お目当ての店の半分も見つけられなかった 涙

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四禄木星とあばら骨

20150210

お正月から風邪をひいて1ヶ月が経過した。

正確には年末から風邪をひいていた主人のそばで
別の風邪をひいてすぐ治ったと思ったらすぐうつった。
年を越しその風邪をひきずったまま今度はインフルエンザだと言われ
タミフルを飲んですぐ治った。

ところが主人からうつった風邪は勢いを増し、
朝から晩まで咳をしていたら
あばら骨を骨折してしまった 涙

今までずっとスポーツをしてきたけれど
体を痛めたことはなかったし、骨太だし
丈夫だと思っていたのに。


2014年は厄年で八方塞だったので、
びびって事故や何やらにやたら気をつけていた。
やりたい事も何となくやらないようにしていた。
2015年は四禄木星で「今年こそレッツゴー」みたいなことが
初詣で八幡様に書いてあったのを見て
晴れ晴れしい気持ちで色々計画していたんですけど。
実は1歳若いんじゃないかしら。え~っと、昭和○年生まれだから・・・

そんなことを思っていたら義父もインフルエンザで倒れ、
義母を残してみんな病院行きとなった。

義父も主人も四禄木星だった。



土の要素

20150209

気質・・・Temperamenteという言葉は、古代ギリシアから由来し
自然界に四大元素があるように、人間にも4つの気質があると
伝えられてきたそうだ。
四大元素は、土の要素、水の要素、風の要素、炎の要素から成り立ち、
次の気質と関係しているという。

憂鬱質 土の要素

思い悩む・悲観的・一つの事柄をずっと考える
痩せ型・自分の中の内側の世界に興味がある

粘液質 水の要素

のんびり・感情の起伏が無い・甘いもの、寝ることが好き
太っている・自分や自分以外の世界にも興味を示さない

多血質 風の要素

落ち着きが無い・楽しそう・目をキョロキョロさせる
色んな事に興味を持つが気が多く長続きしない

胆汁質 炎の要素

怒りっぽい・仕切るのが好き・顔を赤くして怒る
小ぶりでがっちりしている・自分や自分以外の事に興味をもつ

オーストリアのルドルフ・シュタイナーが提唱したシュタイナー教育は
子供たちがどの気質を持ち合わせているか観察し
それぞれに合った教育をするらしい。

この気質の話を大人数名の前でし、
「自分がどの気質かわかる人」と問いかけると
手を挙げる数名の大人はたいてい風か炎だ。
風と炎の人はたいてい明るくポジティブで、自分に自信がある。
対して土と水は陰気でネガティブ、自分に自信が無い。

「あなたは土よね」なんて人に言われでもしたら
自分が根暗であることがバレていると思って落ち込む。
この発想自体がすでに土では?
そういった経過を経て私は土の要素だと思った。(笑)

土は、生きづらい。
「もっとポジティブに考えたほうが楽しいよ」と言われることが一番つらい。
だから思ってることを、言わない。本当の友には、なれない。



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このブログは、そんな土の要素をもつ私が、
川のように流れていってしまう時間の一部を
できるだけほんとの言葉で書きとどめる場所にしようと思い、開きました。
つたないブログではありますが、よろしくお願いいたします。


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