20161225

キリスト教系の短大に在学中
クリスマスはやはり一年で一番大切な行事でありました。

蝋燭を手に持ち、チャペルで賛美歌を歌いました。
200人全員の蝋燭の灯は、それはそれは美しく
賛美歌は、いつも以上に高く心に響きました。

2年生の時、クリスマス委員という大役にチャレンジし
アベマリアやハレルヤなどの練習では皆に迷惑を
かけっぱなしだったり、苦い思い出が多々あります。

クリスマス当日の礼拝では、近隣の教会の神父様に
感話をお願いすることになりました。
その神父様は、生まれつき目が見えない方で、
奥様は、幼い頃は少し見えたそうですが、
徐々に、光を失ったとおっしゃっていました。

当日、控え室で、神父様と奥様にお茶を出し
感話の時間までお話をしていた時です。
同じくクリスマス委員の友人が神父様に、
緊張しておられますか?と笑顔で訪ねました。
すると神父様は笑って、

私は緊張などしていません 慣れっこですから
普通は私があなたたちにそう聞く場面かと思いますが?
不思議ですね なぜあなたたちがリラックスして
そう私に訪ねたのか
それは、私が目の見えない人間だからではないですか?

優しい口調の神父様のするどい言葉に
私達一同は何もかも見透かされた気持ちで
恥ずかしくてきっと顔が真っ赤になったと思います。

その後の感話で神父様は、自身の学生時代の体験を
お話くださいました。
・・記憶がすこしおぼろげで、寮生活でのお話だったと思うんだけど・・
夜、友人がトイレに入っている時、当時の神父様はふいに
今、電気のスイッチを消してみたら一体どうなるんだろう??
といういたずら心が沸き起り、突然電気を消してみたんだそうです。
☆ ☆ ☆
そうしたらその友人の、慌てっぷり、怯え様ったら・・・
泣き出しそうになりながら、お願いだから電気を付けてくれと
叫んだそうです。

その時神父様は、こう思ったそうです。
目の見える人間はなんて光に依存しているんだろう!
光を知る人は、光なくては生きていけない。
自分は生まれてからずっと、光を見たことがない。
だから光がどんなものなのか、想像をすることもできない。
だけど、光がなくてもこうして生きている。
ということは、・・自分のほうが何倍も強くて、自由だ。
俺は光なんかなくたって、全然怖くないぞー!!


クリスマスになると、いつもこの年の200本の蝋燭の灯と
神父様のお話を思い出します。
神父様の伝えたかったことは、年をとるごとに、
形を変えて私に問いかけてくれます。

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生活習慣の見直ししませう

20161224

寒さが緩んだ週。身体も緩んでいるのが分かる。

この秋、2つの生活習慣を変えてみた。

1つ目は、携帯電話を2階の寝室に持ち込まないこと。
今までは枕元で充電しながら
目覚まし時計代わりにをしていたのをやめて、
1階で充電もしくは電源を切るようにした。

いつでもどこでもわりと眠れるタイプのくせに
電子音と強い光に対してちょっと過敏らしく、
睡眠中枕元にあるとストレスを感じている事に
ようやっと気がついたためだ。

2つ目は、水道水を飲むのをやめたこと。
千葉の松戸の実家も浄水器はついておらず
それに比べれば何ともなかった我が家の水が、
ある朝、ついに飲めなくなった。
それで、紫波町が誇る名水、水分神社の水を
汲み置きして飲んだり料理に使うようにした。

朝、起きてすぐと寝る前には必ず1杯。
美味しい。心配していたお腹の冷えもない。

今日は、水分神社へ年内最期の水汲みへ行って
日頃私達の暮らしを見守ってくれる神様へのご挨拶をしてきた。
これからも、どうか私達に恵みを分けてください。

。。。。。。

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祖父との別れ

20161218

12月2日、退社時間ぎりぎりに
携帯に宮城の祖父の家から電話が入った。

ドキっとした。その場では電話に出ず、
すぐに事務所を出てかけ直した。
入院していた祖父が目をおろしたところだ、と
叔母と祖母が教えてくれた。
享年94歳だった。

祖父は何度もガンの手術をうけながら
持ち前の丈夫な身体と気持ちの強さで回復。
80歳で稼業の理容店を引退してからは、
自分の事は自分でやり人様に迷惑をかけない事が
仕事だと言って、まさにその仕事を全うしてきた。

今年6月皮膚がんの手術を受け、療養のさなか
腸捻転に見舞われ緊急開腹手術となった。
それからは食べ物が喉を通らなくなり、寝たきりとなった。
入院の名は「老衰」。
いつかこんな時がくるとはわかっていても
はじめは信じたくない気持ちが強かった。
でも会いに行くたびに少しずつ大変さが増している
祖父の状態に、覚悟も固まっていった。
点滴だけで5ヶ月と少し、気丈に頑張ってくれたのは
私達にちゃんと心の準備をする時間をくれたのだと
そう思えてならない。
最愛の祖父への想いは私からの最期の手紙として
棺とともに燃やしてもらった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

祖父は、はっきりいってイケメンだった。
色白で緑色の瞳、鼻筋の通った顔立ちに(ロシア系)
可愛い笑顔。そして本当にお洒落な人だった。
何年も前から、自分の遺影をどうするか気をもんでいて、
こういうことはちゃんと準備しておかないと
いざという時にあんたたちが大変なんだ、と言って
「涼子、遺影を撮ってくれ」と頼まれて撮ったりしていた。
ところが2011年の震災で家屋が倒壊し
保存していた写真が大部分失われてしまった。
それで遺影の写真がないから、お前の持ってる
良い写真を焼き増しして送ってくれ、と言うので
送っておいた。2年ほど前の話だ。
いよいよ、その遺影の写真が必要となった。

「おばあちゃん、私が送った写真どこにやったの?」
「それが、大事にしまっておこうと思ったら
どこにしまったか忘れてしまったんだよ」

それから捜索がはじまり、やっと見つけたと思ったら
祖父の肌の色があまりに白すぎて写真が飛んでいるので
使えない、と葬儀屋さんに言われ断念。
でもどうしてもイケメンでお洒落に決めた写真を使って欲しくて
今度は斜に構えて笑ってる写真をゴリ押ししても叔父に一蹴。
結局出来上がった遺影は無地のスーツにコラージュされていて
祖父の好みではないかもしれないと思うと、それだけが心残りだ。
やはり生前にちゃんとした写真館に行って
遺影の撮影をしておくべきだったのだろうか・・?


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