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種まき準備

20180429

昨日、主人が畑を耕してくれたので
そろそろ畝をきったりマルチをはったり
庭の手入れをしたり綿の種を蒔く準備をしないといけなくて
なんだか気持ちばかり焦る。やっぱり5月。

2017年は雨ばっかりで気温も低く、
綿の収穫量は少なかった。
年内に蒴果が開いたのはサカタのタネだけで、
会津綿と茶綿は、1月の雪の中収穫したのである。
(そんな寒い中収穫した綿の質が良いかどうかは謎・・)


DSC_3437_400.jpg
左から
サカタのタネ262g、茶綿271g、会津綿231g
昨年の約三分の一。


DSC_3439_400.jpg
綿繰り機で種と綿を分ける。
きゅるきゅるきゅる・・
私はこの作業が好きだ。
やみくもに焦っていた心が
みるみるうちに落ち着いていくのがわかる。

DSC_3441_400.jpg
午後は庭の手入れをして、
心も身体もリフレッシュ!
まだ芽吹いたばかりで頼りない
木々のさりげない木陰が気持ちいい。

ひさしぶりの更新です

20180416

こんにちは!いや、今晩は!

・・・

昨年の8月から更新していないので
もはやどういう書き出しが良いのか分からなくなっています 汗

思うところがあり、暫く更新をストップしたのだけれど、
撮った写真をパソコンが読み込めなくなったこともあり
すっかり遠のいていました。

スマホ機能を使ってケーブル無しで送信する方法で
とりあえず写真の件はなんとかなりそう。
少しずつ、また更新していきたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は、亡くなったお隣のおばあちゃんの葬儀でした。
私の住んでいる地域は、「向こう三軒両隣」の家は
親族と同じ扱いとなり、全てのおつとめに参列します。
主人が出張中のため、私が代わりにおつとめすることになりました。
前日の納棺から、火葬、葬儀、49日の法要まで。

ホントは、一人でおつとめするのはちょっと心配だった。
近所の人達の顔もちゃんと覚えていないし、
作法や習わしにうるさい人とかいたら、どうしようとか。
でも、それは取り越し苦労で、優しい人達ばかり、
穏やかな良い式でした。
普段挨拶しかしないような近所の人ともお話できて、
なんか良かったな、と。おばあちゃんに、感謝です。

自分がそういう歳になったということだろうけど
近しい人の旅立ちがここのところ続いて

生きることについて考える時間が、増えました。

桜のつぼみがほころんできました。
今週は暖いようなので、一気に開花の予感。



森林遊山活樹倶楽部へ

20170830

今年で3年目の参加となる葛巻の森林遊山活樹倶楽部。
久々の参加。久々の晴天!

2011年の雪害で被害を受けた外久保さんの松林と杉林。
県民参加の森林づくり促進事業としての整備が進められ
ようやくゴールが見えてきたということで、今年が最後の活動となる。

この日は杉林の整備に入る。
枯れた杉の木が、密集している。

DSC_2412_512.jpg

枯れた杉を切り倒し、玉切りして績む。
密集地での作業のため、笛を使って安全を確保。

DSC_2417_512.jpg

午後はウインチで引き上げる作業があったけど、
私はちーちゃん家で作戦会議があったので
楽しいランチタイムを過ごした後、失礼することに。
参加時間が自由なのも、この活動のよいところ。
残り2日の活動日は是非参加したい。
(雨よ降らんでくれ~)

ハロ・環水平アーク

20170726

暑いあつ~い一日。
つくつくほうしの再来、夏ですね。

ここのところ夏風邪をこじらせダウンしていました。
やっと元気を取り戻して、一日現場に出れるように!

思うように身体が動くって事は、なんて楽しいことなんでしょう。
楽しくて、どんなに暑くても笑顔がこぼれてしまう(気持ちわる!)

楽しいことは重なるもので
今日の正午、盛岡市上空で暈(ハロ)を確認!

DSC_2101_512.jpg


写真には写っていないけど
ハロの下に環水平アークという水平の虹も確認。
(そっちのほうが現象としては珍しいらしい)



ぴかぴかの夏の光と絹の雲


愛と気概

20170704

3年前、義父と義母の故郷へ
ご先祖様のお墓参りの旅に主人と二人ででかけた。

その時「墓じまい」について、初めて深く考えさせられた。

都市移住化に加えて少子化、核家族化、住宅事情・・
信仰への薄れも相まって、もはや墓というものが
現代のライフスタイルとかけ離れた文化であること。
そして「墓じまい」に直面した人たちの淋しさや苦悩。

その問題に、3年後自分が直面することになろうとは・・
わかってはいたものの、早かったな-。

本家が関西にある我が家には墓がない。
義父は生前、「俺が死んだら、どこよりもおっきな墓建てんねん!」
と言っていたそうだ。
義母は「よっしゃ、そうしたるわー」と言いながら、
「お父さんにはそう言ってるけど、ウチはほんまはいらんと思うとる」
・・・
私達に子供がないために、二代で墓じまいするのはわかっている。
重荷になるだけじゃないか、ということ。
主人と二人で話し合って、友人知人にも相談した。
(結果、同年代の友人知人は考えたこともないテーマだったらしく、ほぼ参考にならなかった)

確かに重荷かもしれない。
でも、先のことは正直わからない。
わかっていることは、義父が望んでいたことと、
義母も本当はあれば嬉しいに違いない、ということだった。
それで、私達がなんとかするから、お墓は建てましょうよ、と言った。
義母はとても嬉しそうだった。

義父のお葬式に来てくれた関西の親戚にも、
息子夫婦がこう言ってくれたから、建てることにした、と説明し
ええ嫁さんもろてほんま幸せやな、よかったなー 
そんな風に言われて私たちも嬉しかった。

ところが、お葬式も終わり、親戚の人たちが帰る直前のこと。
再びお墓の話になったその時、

「ウチは絶対反対。」

大阪のおばちゃんだった。
義母の双子の姉で、私達夫婦も大阪の家に泊まりに行くほど仲の良いおばちゃん。

「皆、墓じまいの大変さが全くわかってない!
いま、どこでも墓じまいで頭悩ましてんねんで。
しまうのわかっていながら今更墓建てるアホがどこにおんねん!」

「そりゃ、墓建てろ言われて、嬉しいのはわかる。
嬉しいに決まっとるやろ。
せやけどよく考えなあかん・・!
(私に)あんたも、よく考えて物言わな、あかんで!」

涙が出た。
皆、良かったね、と言いながらも、
本当は心配してたかもしれない。
大阪のおばちゃんは、一番に私達の事を考えて
このまま「良かったね」で、解散しても良かったはずの場で
あえてそう言ってくれたのだ。
そして結局、1年でも2年でも、ゆっくり考えて決めることにしよう、となった。
おばちゃんの愛と気概には、完敗。
このことは忘れないよ。ありがとう。

私はこの家に嫁にきて、最高に幸せだと思う。
家族、親戚の人たちの愛に触れるにつれ、
自分が変わっていくのを感じている。


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